2011年06月26日

巨人の威信低下、原因は生臭い“天下りフロント”

 来季のパ・リーグとの交流試合数の削減、来年の北京五輪開催中のアマ球界との交流試合。巨人の提案はいずれも一蹴されている。長嶋第一次政権(1975年―80年)時代の巨人担当記者としては、信じられない思いがする。巨人が何か提案すれば、11球団が追従してそれで決まり。そういう時代に巨人担当記者をしてきただけに、目を覆うばかりの威信低下ぶりには驚かされる。

 4年に1度は五輪もあるというのに、4年間優勝できず仕舞い。人気暴落、地上波で巨人戦が放送されないのは、今や日常茶飯事。勝てば官軍、負ければ賊軍は勝負の世界の常だが、それだけが理由ではないだろう。巨人フロント首脳は結局、人材不足だし、さらに、適材適所のグループ内人事異動が行われていないという事実を痛感する。

 球団幹部のポストに読売新聞社から天下ってくるのは、昔からの話だが、人選の基準が変わったことが、失敗だろう。正力亨オーナー時代は、「読売からきたフロント首脳は巨人軍を強くしようという気持ちがあった。だから現場首脳とのスキンシップもあったし、現場、フロントに一体感があった」というのが、当時の担当だった我々の正直な感想だ。

 江川事件で知られる故・長谷川実雄代表などその典型だった。江川事件の是非はさておき、「巨人軍を再建するには、江川がなんとしても必要だ」という長嶋監督の強い意向を受けて、長谷川代表は動いている。泥もすべて自分がかぶった。「陳謝の実ちゃん」などと揶揄されたが、すべては巨人軍のためにという、一本筋が通った人物だった。「さすが読売新聞社の編集局長を務めた人だ」と感心させられたし、新聞記者の大先輩としての忠告もされたものだ。

 「新聞記者はデスクになったらお終いだよ。他人の原稿の手直しばかりしていたら、退歩するだけだ。現場にいてこその新聞記者だよ」という言葉を今でも鮮明に覚えているし、肝に銘じている。20代の駆け出しの若造記者にとって、元編集局長の一言は重みがあり、素直に耳を傾けた。私心がない。読売新聞で一時代を築いた人物だからこそ、「後は巨人軍のために」という純粋な気持ちになれたのだろう。

 ところが、渡辺恒雄オーナー(現球団会長)になってから、生臭い連中が巨人へ天下ってくることになった。巨人軍で認められ、読売に戻って出世したいという輩が送り込まれるようになったのだ。常に渡辺オーナーの顔色をうかがい、現場の監督、コーチ、選手のことなど眼中にない。巨人軍は自分にとって出世の踏み台にすぎないから、本当の愛情などあるわけがない。

 あの他人の悪口を言わない長嶋さんが巨人監督に復帰した後、「ウチのフロントはユニホーム組をなめているのか」と激怒したことさえある。他球団に相手にされない今の巨人フロント首脳も、その延長線上にある。巨人改革は、読売で一時代を画し、卒業した大物をフロントに据えないと、他球団の巨人離れは進む一方だろう。球界盟主の座に復帰など夢の夢だ。
ラベル:巨人
posted by エジリン at 10:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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